靴下の色

昨日は、写真家のかなもとさんに、早稲田で僕を撮影して頂き、食事をして別れた。

それから1人で夜の新宿を歩いていた。

だけど、一日中レンズを意識していたせいか、前から歩いてくる女性が、みんな自分を見つめているような気がした

こんなにモテる感じを受けることは、そうそうない。調子に乗って、女性を見つめ返した瞬間だった。

足に何かがひっかかった。バランス崩れた。靴が脱げた(が、そのときは気が付かなかった)。そして、次の一歩で足の小指を何かにぶつけたような気がした。駐輪用の鉄のレールだった。

僕は、スローモーションのように流れたこの一瞬のできごとの間に、転ばなかった自分は、オリンピックに行ける気がした。一方の女性は目をそらして、そそくさと歩いていった。僕は、靴を履き直し、新宿の電気量販店めぐりを続けた。

何かがおかしいと気がついたのは、30分後、駅へと続く地下道にいたときだった。痛みが増してきたので、靴を脱いだら、白い靴下がレッドソックスになっていた。

やがて、地下道の白い床を秋らしい紅色に染めながら、座り込んでいる男になった。

親切な女性が「肩を貸しましょうか?」と声を掛けてくださったが、僕は丁重にお断りし、ケンケンして、京王電鉄の駅室に行き、応急手当をしてもらった。

夜が明けて、整形外科で診断してもらったところ、足の小指と薬指の間が断裂していた。小指の骨にもヒビが入っていた。人生で初めて体を縫った。全治一ヶ月。

。。。

心配かけた皆さん、本日、ミーティングや会合をキャンセルしてしまった皆さんには、本当に申し訳なく思います。

明日、一緒に踊ろうと言っていた大学生の皆さん、
僕は、片足ステップのフォーチュンクッキーでお願いします!

ドンキーコング

友人から「ゲームウォッチ」のドンキーコングをプレゼントに頂いた。実際にプレイできる。見たことがない人もいるかもしれないが、これが最初のDSだ。

小学生の僕は、実際に、これを持っていた。あの頃は Dual Screen じゃなくて、マルチスクリーンと、任天堂は言っていた。

ゲームウォッチは、故・横井軍平さんが、新幹線に乗っているとき、電卓の数字を押して、暇つぶししている会社員の姿を見て思いついたとも言われ、実際に電卓と同じ7セグメントのオン・オフと同じ仕組で作られている。

大人になった今だからこそ、その様々な工夫に感動する。特に音については、言葉を失うくらいすごいと思った。

実は、僕は、「スーパーマリオ」の効果音の中で、もっとも素晴らしいと思うのは、各面の最後でポールをつかんだ後、得点が入るときの心地良い「ピルルルルル・・・」という音だ。あれは、プレイヤーを元気にする。

そして、スーパーマリオが誕生するずっと前、ゲームウォッチには、すでにその効果音が実装されていた。ドンキーコングも得点のときに「ピルルルルル…」となる。

それどころか、単発の電子音でしか表現できないこの端末で、すべての効果音を、単音の高さとリズムで区別し表現している。「ジャンプ」「タルが転がる」「やられる」「主人公が落ちる」「移動する」「クレーンにつかまる」… すべて違う高さの音だ。

それは、他の人がプレイしているとき、その画面を見なくても、音を聞くだけで、どの狀態なのか、情景が目に浮かぶということだ。
そして、これは、目をつぶっても、プレイができることにもつながる。
実際に、少年時代の僕らは目をつぶって、プレイして競っていた。

ゲーム自体の構成も、宮本茂さんのアイディアがたくさん詰まっている。ひと目見て「目的(=コングを倒し、美女を助ける)」が分かること、クリアしたときのラブストーリーの存在、コングの豊かな表情など、スマホのアプリ開発でも、お手本になる要素がたくさんだ。

思えば、小学生の頃、5mm方眼ノート1000ページに渡って、ゲームの企画を書いていたけど、あの頃の僕にはラブストーリーがなかった。

今なら、僕も壮大なゲームを描けるのではないか。実は密かにそう思っている。

ラブストーリーも十分に経験した。もちろん、そのほとんどは、一方通行だったかもしれないけれど、

“恋は下心、愛は真心”

そう誰かが言っていたように、いくら IT が発達して、スマホでスタンプ送っても、愛と恋の違いなんて、漢字一文字程度。

素晴らしい友人と、ドンキーコング開発者の皆様に感謝しながら、明日の資料を作ろうと思う。

たけのこ

10年ぶりくらいに、実家の山に入って、タケノコを掘りに。

父と僕でだいたい20本ずつくらいクワを落として、合計41本。